生きがいとお金

いやむしろ働くことを禁じさえしたようですよ。

生活のために働かなければならないとなると、

修行どころではなくなってしまいます。

生活費を稼ぐために仕事に縛られる。

縛られることは釈尊はもっとも嫌ったことなんですよ!

さらに!

都合のよいことに、修行者に布施することは

自分のためになる行為なんだという価値観を一般民衆が持っていたので・・・

それで食べていくことはできたわけです。

では現代日本においては・・・どうしましょう?

働かずに生活していけますかねぇ、のんびりと。

現代日本じゃ物もらって生きるなんて、ウーム、みなさんどう思うんでしょうか。 では釈尊の時代の修行者のように出家してはどうでしょう。

出家というと日本では、僧侶になってお寺で働くという感じですが、

今はお寺だって資本主義システムに絡めとられてしまっています。

つまり「人の世の縛」を離れることはできない。

正しい出家というのはホームレスになることでしょうが

ホームレスに布施する人なんかほとんどいないし日本は気候的にも厳しいですから

ホームレスだって生き残りに必死です。

縄張り争いとかあるみたいです。

結局生きるための心配を常にしなくちゃならない。

これじゃ自由とはいえませんねぇ。 好きなことを仕事にできて、そしてそれに夢中に打ち込んでいられる人は

縛られている感じはないでしょうね。

これは幸せなことだと思います。ただなかなか難しいでしょう。

多くの人は「好き」を追い求める途中で

生活の不安にとらわれるのではないでしょうか。

特に私のような年齢になると・・・・

これでいいのか、これでよかったのか、

毎日のように疑念にとらわれるんです。

自由

不安に縛られ、疑念に縛られ、

自由に自分の夢を追い求めていると思ったら・・・・

ちっとも自由じゃない!!! 始めからピンポイントで稼ぐことに徹し、少しでも早く安定収入の流れを作って、

その後存分に自分の求めるものを追いかければいい、と思うようになりました。

その場合大事なのは釈尊や老子の言葉にあるとおり

「足るを知る」

ことでしょうね。

自分にとって必要なのはどれほどなのかを。

際限なく儲けようとするならそれはお金の奴隷にされていることを意味します。

お金はあくまで道具なのですから。