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最新記事【2007年09月10日】

遠くに住む友達に、自分の言葉を伝えたい。
誰だってそう思うことはありますよね。
今ならケータイで・・・となるかもしれませんが、
昔々の人はどうしていたのでしょう?

電話もインターネットもなかったころ。

大声で叫ぶ?
それもありかもしれませんね。今みたいにビルもなく見晴らしが良かったら、
声に自身がある人ならかなり遠くまでメッセージを届けることができたでしょう。
でも声にはやっぱり限界がある。
1キロも2キロも離れていると大変です。

声より遠くに届くもの。
硬い物同士を打ち合わせたら、大きな音が出ますよね。
丸太を棍棒で叩いて遠くにいる人にメッセージを伝えたり・・・
それがでっかいお寺の鐘になれば人間の声とは比べ物にならないくらい
遠くまで響かせることができるでしょう。

これを一定間隔で配置して、メッセージをリレーしていけば、
東京から九州にだってメッセージは伝えられそうですね。

同じようなことは「のろし」でもできます。
薪なんかを燃やして、煙を空高く上げて、遠くの仲間にメッセージを伝えるやつです。

鐘にしてものろしにしても、遠くにいる人とコミュニケーションできるんですが、
重大な欠点もありますよね。

何だと思います?

・・・・・・そうです!
これじゃあ単純なメッセージしか伝えられません。
やっぱり人間だから、「言葉」で相手に気持ちを伝えたい。
そしてもう一つの欠点。
そんなに大きな音でメッセージを伝えたら、秘密が守れないじゃありませんか。
周囲何キロにもひびく鐘の音で、
大好きなあの子に愛の告白・・・って、考えただけでも真っ赤になります。

他の方法が必要ですよね。
自分の言葉を確実に、しかも秘密で伝えてくれる方法が。

自分の言葉を確実に、そして秘密で相手に伝えたい。
そう考える人がいるのは、今も昔も同じでしょう。

だから手紙を運んでくれる人は昔からいたみたいなんです。

どれくらい昔からかって?

3000年以上前ですよ。
3000年以上前のエジプトには、手紙を運ぶ仕事をしている人がいたんです。
エジプト
(地図:ウィキペディアより)

まあ、郵便局があったわけじゃなくて、個人でそういう商売をしていたわけなんですが。
でも、さすが四大文明の一つエジプト。
(「エジプトはナイルの賜物」って知ってます?)
3000年以上前からそんな仕事があったのですね~。

3000年前というと日本は何時代ですか?
はい、6年生ならわかりますよね。縄文時代です。
縄文時代の日本には、さすがに手紙を配達してくれる人はいなかったでしょうね~。

でもエジプトの配達員さんは、個人でやっていたんです。
郵便局みたいな組織で働いていたわけじゃないのですね。

では組織のみんなで力をあわせて手紙を運ぶようになったのは、
いつからなんでしょう?

エジプトの配達屋さんは、個人で営業していたということでしたが、
世界で初めて組織として手紙を届けるお仕事をしたのは、
どんな人たちなんでしょう?

これまた紀元前に始めた人たちがいたんですね。
中国でも紀元前から郵便制度があったそうなんですけど、
有名なのはイランです。
イラン。聞いたことありますよね?
日本が石油を輸入している相手だとか、イランイラク戦争とか。
イランはここです。
イラン
(地図:ウィキペディアより)
約2500年も前のイラン。
そのころはイランではなくペルシアと言っていました。
正確には「アケメネス朝ペルシア」。

またしても日本はまだ縄文時代ですね~。

さて、この古代ペルシアで郵便制度が作られたのですが、
作った人はペルシアの王様です。
ではペルシアの王様はなんのために郵便制度を作ったのでしょう?
王様も自分の気持ちを愛する人に伝えたかったのでしょうか?

いえいえ、そうではありません。

政治と、それから軍事のためです。
ぜんぜんロマンチックじゃありませんね。
ペルシアの王様は、国を上手く支配するためには
各地から効率よく情報を集めて、
そして国の隅々まで自分の命令を行き渡らせなければならない、と考えました。

そのために手紙というか政治のための文書を運ぶ仕組みとして
郵便制度を作ったのでした。
もちろん「郵便制度」と言う名前ではありませんでしたが・・・
情報を届ける人は伝達使と呼ばれていまして、
この人たちは王様の家来ですから、王様のための情報・手紙しか運びません。

だから郵便制度といっても
今みたいに誰でも手紙を届けることができるのではなかったんです。

ペルシア王は郵便制度を完全なものにするために、
「王の道」と呼ばれる当時の高速道路を、国中に張り巡らせました。
それほど情報の伝達を重視していたんですね。
国の支配のため、それから戦争に勝つために。

だから「王の道」は伝達使が行き来するだけでなく、
いざと言う時には軍隊が迅速に移動する交通路になったんです。

この「王の道」がどれくらい整備されていたのかといいますと、
古代ギリシアの歴史家、ヘロドトスがこんなことを言っていますね。
「この道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は
 世界中どこを探しても他にはありえない」

これまでは外国の話ばかりでしたね。
日本はそのころ縄文時代で土器とか石器とか作っていましたという話でした。

では日本ではいつごろ郵便制度が作られたのか?

「大化の改新」って、知ってますよね? 6年生なら。
中大兄皇子と中臣鎌足が始めた政治の改革です。
西暦645年から始まったのでしたね。

どんな改革かといいますと、隣の大国、唐(とう)の・・・
あ、唐ってわかりますか? そのころの中国の名前です。
中国ってコロコロ名前が変わりますので要チェックですよ。
さて、中大兄皇子と中臣鎌足は、その唐の政治制度(律令制)を手本にして、
日本に天皇中心の政治の仕組みを作ろうとしたのですね。

そのときに唐の郵便制度も取り入れると決めたんです。

646年に発表された「改新の詔」の第2条に、
「駅馬(はゆま、えきば)を設置」
と書かれています。

街道沿いに一定間隔で「駅」を設けてそこに馬を常備します。
そして朝廷からの命令や、地方からの情報を持った役人が、
この馬を乗り継いでメッセージを届けるというわけですね。
朝廷から地方へ。地方から朝廷へ。情報が行ったり来たり。
これを「駅伝制度」と言ったりもします。

ということで、日本で初めて作られた郵便制度も
政治での必要から作られたのであって、一般の人々が使えるものではなかったんですね。
結局、外国でも日本でも、支配者が使うために郵便制度は作られたんです。

ちなみに、「駅」というと今では鉄道の駅しか思い浮かびませんけど、
もともとは「早馬」を意味していたようです。
「駅」は場所ではなく馬のことだった!

だから「駅馬」の読み仮名として「はゆま」とあててあるんですね。
「はやうま」がなまって「はゆま」になったということだそうです。

これまでの話では、郵便制度というのは
国の支配をしている人たちが自らの必要性から作ったものだということでしたね。
だから「郵便制度」というより単に「情報網」と言った方がいいかもしれません。

では一般民衆が使える郵便制度ができるのはいつになるのか。
ヨーロッパでは西暦1000年を越えたあたりから
一般の民衆が利用できる郵便の仕組みがかなりできていたようですが、
まだ国がそれを作ろうとはしていませんでした。
国はあくまで政治や軍事のための郵便制度と考えています。

ところがヨーロッパで産業が発達するにつれて、
一般の人々の郵便に対する需要が高まってきます。

産業が発達すると、郵便への需要が高まる? なぜでしょう?
産業が発達していろんなものの生産が増えてきますと
それを他の人にも売って儲(もう)けようとするようになりますね。
それで離れたところにいる人にも売りたいんですけど、
売るためには前もって打ち合わせをしておきたいですよね。

何をどれくらい買いたいのか。
どんな値段で買いたいのか。
どこで品物を引き渡すか。

いちいち直接会っていたのでは効率が悪いですから
自分は移動せずにメッセージだけ伝えたいと思うのが人情です。
ということで産業が発達すると郵便を必要とする人が多くなるんですね。

この郵便に対する需要に目をつけた人がいます。
ドイツの貴族でフランツ・フォン・タクシスという人です。

ドイツって、ここですね。
ドイツ
(地図:ウィキペディアより)
この人は神聖ローマ帝国(当時のドイツの名前)の
皇帝の手紙を運ぶ仕事をしていたのですが、
それだけじゃ儲かりません。
ということで16世紀の始めに、神聖ローマ帝国の皇帝にお願いして
一般の郵便物も取り扱っていいという権利をいただきました。
しかも「独占権」です。
つまり神聖ローマ帝国の中で郵便事業を行っていいのは
「タクシス家だけ」ということになったんです。

これでフランツさんは大儲けできるんですけど、
同時にヨーロッパ中に郵便のネットワークができあがることになります。
フランツさんは郵便馬車をリレーさせてヨーロッパ中に手紙を運べるようにしたんです。
このお陰で、権力者だけでなく一般の人も使える郵便の仕組みが整ったというわけです。

ちなみにフランツさんが作らせた郵便馬車は赤く塗られていたそうですね。
それで今の日本でも郵便といえば「赤」なんですかね~。
ポストは今でも真っ赤になって立っています。

もうひとつ。

これは今の私たちから見るとちょっとびっくりなんですけど、
郵便料金は郵便物を受け取る人が払っていたそうですね。
たくさん手紙を貰う人は大変だったでしょう。
モテモテのイケメンはラブレター貰いすぎて破産したりして・・・

日本で近代的な郵便制度ができる前に手紙を運んでいた人というと
飛脚を思い出しますよね。飛脚。「ひきゃく」と読みます。

飛脚というと江戸時代のものがすぐに思い浮かびますね。
某運送会社のトラックに描かれているアレです。

でも飛脚と呼ばれるものはすでに鎌倉時代からあったようです。
「いいくにつくろう・・・」のあの鎌倉時代ですよ。
ただ、意外にも鎌倉時代の飛脚は徒歩ではなく馬を使っていました。
・・・いや、どちらかといえば徒歩の方が意外か・・・
馬なので結構早くて、京都と鎌倉を三日くらいで結んだようですね。

さて、イメージどおり(?)の飛脚が登場するのは江戸時代です。
これもやはり最初は将軍様の必要から設置されました。
そのうち諸国の大名や町人が利用できる飛脚便が作られていきます。

しかしなぜ馬じゃなくて徒歩になったんでしょうかね。
以下推測。
江戸時代は平和になって産業が発達、
その上、五街道も整備されたので人の往来が増えたせいかもしれません。
人が多いところを馬で駆け抜けるのは危ない。
橋のない川が多かったからかもしれません。大井川は有名ですね。
馬の方が費用がかかるからかもしれません。
あとは・・・失業対策のためとか・・・

徳川将軍の使っていた飛脚は「継飛脚」と呼ばれていまして、
江戸から京都まで三日で手紙を運んだといわれています。
三日って!?
鎌倉時代の馬より速いじゃん!!
結局、馬より速いのなら馬を使う必要はありませんね。
さすがに一人で三日間走れるとは思えないですが・・・

さて、徳川将軍が使った飛脚以外は何と呼ばれていたんでしょう。
諸大名が使った飛脚は「大名飛脚」(そのままじゃん)、
一般民衆が使った飛脚は「町飛脚」と呼ばれました。

これで日本にも一般人の使える郵便システムができたか・・・
と喜んでもいられません。
飛脚には欠点が多々ありました。

人間が自分の脚で走るんですからね。

遅い。

京都と江戸を三日で結ぶなんて、将軍様の使う最高の飛脚ですよ。
一般の飛脚は一ヶ月くらいかかったそうです。
急いでもらうには大金を払わなくてはいけなかったんです。
4日以内に江戸から京都まで手紙を運んでもらうのに4両かかったそうです。
4両というと今の感覚では、50万円くらいになりますね。
50万円を郵便屋さんに払っても、相手に届くのが4日後・・・
それじゃー不便ですよね。

それから産業の発達につれて郵便物が増えてきました。
一方で飛脚として働く人はそんなに増えません。
それで郵便物が届くのが遅れるようになってしまいました。

しかしこんな欠点を持ったまま、江戸時代が終わるまで飛脚は存続します。

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